▲「私たちと同じ苦しみ二度と現れない制度つくって」と訴える佐戸恵美子さん=3月17日、アルタ前
エキタスが昨日(3月17日)、「新宿アルタ前大街宣~ #高度プロフェッショナル制度 もやめろ!!~」( #0317アルタ前 )を実施しました。この取り組みの中で、31歳で過労死された佐戸未和さん(NHK記者)の母親の佐戸恵美子さん(東京過労死を考える家族の会)が訴えました。その訴えの要旨を紹介します。(※文責=「わたしの仕事8時間プロジェクト」)
若いみなさん、これから日本を背負っていくみなさん、かけがえのないわが子を過労死で亡くした母親の心からの悲痛な叫びに、しばし耳をかたむけてください。そして生き抜いてください。
昨年10月に、報道記者をしていた佐戸未和の過労死の事実が公表されました。最愛の娘を失い、二度と心から笑えることはなくなり、悲しみと苦しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を、世の中にきちんと伝えたいとの思いで、ここに立っています。
未和の急死の連絡を、当時主人が仕事で駐在していたブラジルのサンパウロで受けました。主人の携帯に突然未和の会社の上司から、「未和さんが、自宅で亡くなられた」と連絡が入りました。状況も死因も皆目わからず、半狂乱になった私は、主人にひきずられるようにして、その日の最短便に乗り、2日後に帰国し死後4日目の変わり果てた娘に対面しました。ほんの一週間前に現地のテレビニュースで観た“以上選挙報道でした”という未和の最後の声と姿が今でも脳裏に焼き付いています。
夏場で遺体の損傷も激しいため、翌々日に葬儀を出し、膨れ上がった遺体の左指に婚約者によって急遽大きくした結婚指輪をはめてもらい、私はとっさに遺髪と叫び荼毘にふしました。私は放心状態のまま家にこもり娘の遺骨を抱きながら毎日毎日娘の後を追って死ぬことばかり考えていました。人生の道半ばに達することもなく、生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。自分の親たちの看取りは淡々とやれたのに、なぜ最愛の娘を守ることができなかったのかという深い後悔の念に苛まれ、自分を責め、今もなお喪失感にもがき苦しんでいます。
未和の死はあまりに突然でした。異常な猛暑日が続く炎天下で2カ月にわたる東京都議選と参議院選とたて続けに大型選挙があり、未和は記者としてこの取材・報道に駆け回っていましたが、選挙戦が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなり、連絡がつかず心配してかけつけた婚約者によって発見されました。手には携帯電話を握ったままでした。
勤務記録表を見た時、私たちは泣きました。こんな無茶な働き方をしていたのかと。都内各地での候補者や政党の取材、演説への同行、出口調査や街頭調査、局内では夜中の票読み会議や形勢展望会議、選挙情勢についてのテレビ報道やテレビ出演、当確判定業務などに奔走し土曜も日曜も無く、連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。まともに睡眠をとっていませんでした。私たちが調べた結果、亡くなる直前の1カ月間の時間外労働時間は209時間、その前の月は188時間でした。
当時、記者にとって、選挙取材は本来の担当業務に加え、新たに発生する臨時のしかも待ったなしの集中業務です。後で聞いた話や残された未和のノートから、テレビ出演、テレビ報道含め同じ職場の他の男性ベテラン記者達に比べて、明らかに未和への仕事量は多かったと聞きました。職場で一番若く女性の未和が犠牲になりました。
ベテランの記者3名はそれぞれ自民、民主、公明の主要3党を担当し、未和はそれ以外の政党全てを担当していました。当時職場では何時間働いても同じ扱いでした。上司は死後、「記者は時間管理ではなく、裁量労働で個人事業主のようなもの」と何度も言いました。労働時間を自己管理できずに死んでいった未和が悪かったといわれているようでした。社員の労働時間の管理は上司の責任ではありませんか。組織としても社員の労働時間を適正に把握する義務があり、ルールがあったはずです。200時間を超える時間外労働が野放しとなり未和は過労死に至りました。制度を濫用した労務管理の怠慢による明らかな人災です。
会社は未和の過労死については誰も責任をとることもなく、事実を4年間社員にすらひたすら伏せてきましたが、今回公表にあたり私たちと話し合う中で過労死は労災認定されましたが、会社側は法律違反はしていないという考えでした。過労死そのものが法の精神に反することは明白であり、会社が過労死に対して本当に反省しているのか疑問に思っています。私たちは、未和は今後会社が進める一連の働き方改革の人柱になったと思い、過労死の再発防止と改革の推進を見詰めていきます。
未和が亡くなった後、会社から娘に対し、都議選と参議院選での正確・迅速な当確を打ち出したとして報道局長特賞が届きました。災害や事件で、一刻の猶予もならぬ人の生死に関わるような取材活動に奔走した結果ならともかく、選挙の当確を一刻一秒早く打ち出すために、200時間を超える時間外労働までして、娘が命を落としたかと思うと私はこみあげてくる怒りを、抑えることができません。
未和は一橋大学に在学中から、報道の世界に関心を持ち、学生によるラジオ局にたずさわっていました。卒業後希望通り報道記者として入社し、夜討ち朝駆けのハードな生活にも弱音を吐かず、周囲にも優しく接しながら、鹿児島、東京と一歩一歩キャリアを積み上げていきました。会社を愛し、報道記者という仕事に誇りと生き甲斐をもっていました。7月末には横浜に異動し県庁キャップとして勤務し、9月には結婚とこれからの予定もびっしりでした。生きる気満々でした。しかし体は正直で、おりのように疲労がたまり、悲鳴をあげていたのでしょう。半身不随でもいい、植物人間でもいい、ただただ生きていて欲しかったです。
母親にとって、過労死でわが子に先立たれるのは、自分の体をもぎとられる以上の、世の中のあらゆる苦しみの中で一番の地獄です。
たった一度しかない自分の人生を楽しむために未和も働いていたはずです。一生懸命働いたあげくに未来を失ってしまいました。どんな仕事でも職場でもつらいことや苦しいことはたくさん出てきますが、責任感やプライドがあれば無理をしがちです。われを忘れて仕事に没頭する時もあるかと思いますが、人の体は正直です。疲労がたまれば悲鳴をあげます。働くみなさん、時々立ち止まって、自分の体の生の声に耳をすましてください。生きることができなかった未和の分を、あなたがかわりに生き抜いてください。
娘はかけがえのない私の宝、生きる希望、夢、そして支えでした。未和の匂い、未和の体の暖かさを、私はこれからも忘れることはありません。
私たちと同じ苦しみを背負う人が今後二度と現れないよう、働く人の命と健康をしっかり守る法律と制度を作っていただきたいと切に願っております。
▼佐戸恵美子さんの訴えを視聴することができます。
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